本書を読んで私が注目したのはギャンブルの魔力でもなく、アレクセイのマゾヒズムや将軍一味の個性でもなく当時の欧州関係、貴族文化、
そして観光にについてであった。
まず、最初に触れておくべきことは、本作は最初から最後まで貴族社会を描いた物語であるということである。その前提がないままに読みはじめた私は、
デ・グリューが「僕」の見分けがついていない意味も、「ぼくが同じテーブルに勝手に顔を出したので、将軍はいかにも不満げに僕を見やった」意味も
理解できなかった。(1)
上記のような仕打ちを受けて、僕が特に憤慨したり傷つく様子がないことも相まって、よほどこの主人公は捻くれ者なのか、
或いは将軍との間にどんな因縁があるのだろうかと勘ぐりながら読み進めることになった。
だが、ここが19世紀欧州の貴族社会であることを理解すれば、
単なる家庭教師である僕が、決して貴族たちと同等の扱いを受けられるはずがなく、また、彼がそれを受け入れていることにも合点がいくのである。
そういう意味で、貴族社会に縁のない私にとっては非常に興味深い作品に感じられた。
例えば、本作には以下の様な記述がある。
「こういう人物と並木道を散歩するのは、べつに問題ないどころか、かりにこういう表現が可能だとして、人物証明の代わりになる。」(2)
「将軍としてももはや、こうした風変わりな女性の姻戚関係で、一般客たちの間に自分の名が穢されるのではないかなどと恐れてはいなかった。」(3)
これは、貴族社会の狭さを象徴している。それは、まあ当然の話だろうが上流階級の数は限られているだろうし、それも名門になればなるほど名が
知れ渡っているだろうから、彼らはその一挙手一投足に気を遣わなければならないのである。
その様は、皮肉にも社会階級で言えば真逆の小さな村社会のような状態であったのだろう。
他にも、執事や小間使いがそもそもカジノに入れなかったり(4)、「温泉地では、〔.....〕ホテルの支配人や給仕長が部屋を客人に 割り振るさいに指針とするのは、客の要求や希望よりもむしろ、客人にたいする彼らなりの個人的な目である。」(5)というように、 本作では至る所で当然の様に貴族社会が、つまり階級差別が描かれている。
なお、ドストエフスキー自体はこの様な貴族社会ばかりを描く作家ではなく、例えば私がドストエフスキーで初めて読んだ「地下室の手記」に
おいては、地下室人は貴族とは無縁の一般労働者であった。
つまり、当然のことではあるが、こういった全てが貴族の尺度で図られる貴族階級・社会がある一方で、それとは隔絶された一般社会も存在したのが
当時の世界だったということだろう。
更に、もし今日も欧州においてその片鱗が残されているのだとしたら、これほど興味深いこともないだろう。
さて、一般労働社会を描いた「地下室の手記」と貴族社会を描いた「賭博者」には当然ながら多くの異なる点があるが、中でも注目に値するのは
「外国への渡航」の差異だろう。「地下室の手記」においては、題名の通り地下室での主人公の妄想・絶望が主で、後は数少ない友人(というか知り合い)で
あるシモノフの家を訪ねたり、主人公が屈辱を味わう、というか恥を晒すことになるズヴェルコフの晩餐会に参加したりはあるが、基本的に舞台となる町が
ペテルブルグから動くことはない。
一方で、本作においては主な舞台となるドイツのルーレットの町、「ルーレッテンブルグ」こそ架空ではあるが、その他「僕ら」の地元である
モスクワ、パリ、フランクフルト、スイスと欧州各地で話が展開したり地名が登場する。
これには、単に地下室人が引きこもりで、僕が仕える将軍一味が「観光」好きのだけという様な個々人の事情以上の社会的な構造が関係している。
つまり、ここには貴族社会と一般社会の断絶と、そしてその変化の兆しが見て取れるのである。
これにはまさに「観光客の哲学」で触れられている「観光」の起源を説明するのが良い。
「観光者である、ということは「近代」を身にまとう、という特質の一環である」(6)というのは観光客の哲学の中で引用されている一句である。
これが何を意味するかと言えば、なんとなく想像がつくだろうが、かつては外国は愚か、国内の観光ですら、一般市民からすれば相当な贅沢、
というか不可能の極みであり、旅行というのは専ら貴族のための行為だったのである。
そして、産業革命の到来により、農民から労働者、大衆のなった人々に生じた余暇が、前述の様な環境を変え、観光を生んだと言うことが
指摘されている。(6)
その証拠に、「賭博者」内では「観光」という言葉は登場しない。代わりに使われているのは先ほども引用した「温泉地」(5)である。
また、「旅をしているポーランド人というのは、全員、伯爵です」(7)という発言もある。だが、何より興味深いのはポーランド人の伯爵が登場した
このシーンでわざわざ上記の一言が添えられた意味である。ここに、「変化の兆し」が見られる様な気がする。
というのも、観光の始まりは産業革命、大衆社会以後であり、その萌芽は19世紀半ばと言われている。そして本書が書かれたのは1866年であるから、
既に萌芽が起きていてもおかしくない時代である。
そこで、「ポーランド」という列強外の国であることに意味があり、つまり、
わざわざポーランド人の内で旅行をしているのは伯爵だけと言及しているのは、本作で登場する他の主要国、英仏独露等においては、
既に貴族以外による旅、すなわち一般労働者達による観光が始まっているということを意味しているのではないか、ということである。
また、「賭博者」内では一度も使われていない「観光」であるが、本編の後の訳者「亀山郁夫」による読書ガイドにおいては、
「ヨーロッパの主要な観光地(ジュネーブ、ホンブルグ、バーデン)」という一節がある。
果たして、訳者が上記のことまで思い至っていたのかは不明であるし、後から見た「観光地」という風にも解釈できるが、賭博者が描かれた時代に
おいても、「観光地」という言葉を使用することが、総合的に鑑みても不適切とは言えないとも思える。
また、本作以前の作品である
「地下室の手記」の主人公がいわゆる労働者であるという点は、既に大衆社会の萌芽がロシア都市部では見られているということの証明に
なっていると言えるのである。
さて、貴族、観光と来て最後に私が気になったのが当時の欧州関係である。まず、本作において明らかなのは
❶ロシアからフランスに対する
ネガティヴなイメージ「フランス人の愛想の良さは、つねに命令か、打算によるものというのが、おおよその相場だ」(8)と、対照的にイギリスに対する
ポジティブなイメージ「イギリス人てのはいつもちゃんとした答え方をするもんだ」(9)
❷ロシアの欧州に対する劣等感「外国に暮らすロシア人
というのは、えてして臆病になりすぎ〔.....〕」(10)である。
これについて触れるには、大雑把な19世紀の年表に沿って説明するのが
良いかもしれない。賭博者周りの50年代〜60年代が充実しているが、まず、本作はクリミア戦争以後の話である。
クリミア戦争と言えば、ウィーン体制、つまり反自由、封建主義の完全な崩壊であると共に、シンプルにロシアの敗北の戦争である。
また、70年にはかの有名な普仏戦争があり、ドイツの台頭、英仏との対立が先鋭化していく。本作はそれらの間に描かれた物語である。
なお、翌年にやっと大政奉還を控えた日本は当然として、南北戦争終結翌年のアメリカも一切登場しない。
1804 ナポレオン皇帝誕生
1812 米英戦争
1814 ウィーン会議
1815 ドイツ連邦成立
1840 アヘン戦争
1848 フランス2月革命、ウィーン革命
1851 ロンドン万国博覧会
1853 ペリー来航、クリミア戦争
1861 南北戦争、農奴解放令、イタリア建国
1866 賭博者、普墺戦争
1867 大政奉還
1870 普仏戦争
1871 ドイツ帝国成立
1894 露仏同盟、日清戦争
1898 ファショダ事件
一方で、戦勝国、敗戦国として同様の立場であるはずの英仏に対する露のスタンスの違いは、作者ドストエフスキーの個人的な想いであるのか、
或いは年表に裏付けられたものであるのかは定かではない。
だが、時を経た1945年のジョージ・オーウェル作「動物農場」の序文案(報道の自由)においては、
さて、小説の醍醐味ここに極まれりという風に感じられた「賭博者」であるが、やはりドストエフスキーという人間の描く人間はそれぞれが立体的で
生気があり、であるからこそ、上記の様な背景にある文化や世相と相まって名作に仕上がっていることは間違いない。
次は彼がどんな世界を私に見せてくれるのか、楽しみでならない。
(1)ドストエフスキー(2019)「賭博者」(亀山郁夫訳)光文社p11
(2)同書p294 (3)同書p175 (4)同書p156 (5)同書p149
(6)東浩紀(2023)「観光客の哲学:増補版」ゲンロンp47
(7)ドストエフスキー、前掲書p121 (8)同書p98(9)同書p146 (10)同書p95
(11)ジョージ・オーウェル(2024)「動物農場」電子書籍版(山形浩生訳)長谷川書房p83