タケル・イダイヤの冒険

集団的自衛権について

第二次安倍政権の評価は人によって、あるいは政策によって大きく異なる。日米
関係、日韓関係、アベノミクス、女性活躍推進法、秘密保護法、モリカケサクラ
、論点は多岐に渡るが、その中でも日本の安全保障政策を大きく前進させたとし
て高く評価されているのがいわゆる「集団的自衛権」政策である。ざっくり言う
と、これのおかげで日本は同盟国的な存在の国が攻撃された時にその国を守るこ
とができるようになったというものだ。これをもって、日米関係の強化に大きく
貢献したというのが肯定派の意見であり、戦争に巻き込まれる可能性が増大した
というのが否定派の意見である。私はこの度いくつかの文献にあたることで、こ
の浅すぎる見識を少しばかり広めることとする。できることならば、その広がっ
た見識をもとに、安倍政権の集団的自衛権に審判を下したいところであるが、多
くの物事は我々が考えるより複雑であるのでそのような高望みはしていない。と
もかく、私なりにそれらをまとめたメモをここに残すので、興味があれば覗いて
みてほしい。しかし、文献のわかりやすい説明を私の言葉でまとめるから、わか
りづらいことは必至であるし、取り上げる論点も偏っているだろうから、、まあ
いい。こんなに予防線を張るのも滑稽というものだ。以下が本題である。

  

はじめに、集団的自衛権の一般的な定義であるが、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が直接攻撃されてないにも関わらず実力をもって阻止すること」とされている。この集団的自衛権であるが、国際的な建付としては、国連憲章2条4項[1]によって定められた武力による威嚇・行使の禁止の3つの例外の内の一つである。
3例外とはすなわち、国連憲章42条[2]に定められた集団安全保障と、国連憲章51条[3]に定められた個別的自衛権並びに集団的自衛権を指す。
このように国際的には集団的自衛権は国家の有する普遍的な権利とされているのであるが、我が日本国においては、憲法9条[4]が国の交戦権を否定しているために、この集団的自衛権が認められないと いうのが、これまでの通説であった。そしてこの通説をひっくり返そうとしたのが安倍政権の試みであったということである。以下が論点である。

  

1⃣集団的自衛権の国際的建付
➀集団的自衛権固有説&非固有説
➁集団的自衛権は個別的自由権よりも厳格に制限されているのか
2⃣集団的自衛権の定義
3⃣集団的自衛権が日本で認められるか否か
➀集団的自衛権は絶対的禁止or相対的禁止
➁集団的自衛権を相対的禁止とした場合、どのような建付のもとで合法化するか
4⃣集団的自衛権の意義
➀肯定派:集団的自衛権がなければ日米同盟は不平等であった
➁否定派:集団的自衛権がなくても日米同盟は平等であった
5⃣具体的な場面

  

1⃣集団的自衛権の国際的建付
まえがきでは、集自(集団的自衛権)が国連憲章に定められた普遍的な権利であるという書き方をしたが、ここに既に異を唱える説が存在する。しかし、残念ながら?ここについてはあまり深く触れない。なぜなら、この論点は極めて専門的で学術的であるし、加えて一般的に現行の国際秩序において集団的自衛権の権利存在に待ったをかけるような場面が起きうるとは想定し難いからである。

➀集団的自衛権固有説&非固有説
余りにも専門的なため保留

➁集団的自衛権は個別的自由権よりも厳格に制限されているのか
集自を個別的自衛権と同等に扱うべきとする論説がしばしば引用するのがニカラグア判決である。以下は、豊下氏[6]より引用した部分である。「本裁判所は、国際連合憲章第51条の言語において、武力攻撃が発生した場合にはいずれの国もが有する固有の権利は、集団的および個別的の双方の自衛に及ぶものであることを認める。こうして、憲章自体が慣習国際法の中での集団的自衛権の存在を証明している。」
これを根拠に、集団的自衛権と個別的自衛権は共に慣習法であり両者をことさらに区別する根拠は失われたとの議論が発生した。しかし、豊下氏[6]によれば、実際には、集団的自衛権は反政府勢力への武器の供与等、重大さの程度において劣る武力行使には行使できず、あくまで武力攻撃がなされた場合に限られるとの判断が示されており、個別的自衛権に比してその行使に厳格な要件が課されているとのことである。
国際的な位置付けとして集団的自衛権が個別的自衛権に比して厳格に設定されているとすれば、国内において集団的自衛権についての議論を展開する上でも、一定のブレーキをかけながらそれを行うことが望ましいといえる。

 

2⃣集団的自衛権の定義
前文で一般的な集団的自衛権の定義を紹介したが、日本においてはそれが独特に発展している。いわく、集団的自衛権のなかでも自国と密接な関係にある外国まで出向いて実力行使をするという狭義のそれは認められないが、基地を提供したり、経済援助をするといった広義の集団的自衛権については、認められる余地もあるとされてきたのである。[14]
広義の集団的自衛権については、周辺事態法やイラク特措法に代表されるように様々に範囲を拡大させてきており、これについては別で触れる。重要なのは、安倍政権の集団的自衛権は、タブーとされてきた狭義の集団的自衛権を突き動かしたという点にある。また、以下の集団的自衛権は狭義の集団的自衛権を指す。

  

3⃣集団的自衛権が日本で認められるか否か
続いては、集団的自衛権が日本国内で認められるかという論点である。前文に記した通り、日本は憲法9条で国の交戦権を否定している。これによって、集団的自衛権は認められないのではないかという疑問が浮かぶが、これについて様々な議論が展開されている。

➀集団的自衛権は絶対的禁止or相対的禁止
・72年見解
1972年、田中内閣において集団的自衛権に関する政府見解がなされた。これを72年見解と言う。72年見解の内容は、日本国憲法下で武力行使が許されるのは、日本国に対する急迫不正の侵害に対処する場合に限られるので、よって他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は憲法上許されないというものであった。
これについて、橋下徹氏は、72年見解において、状況の当てはめがなされていない結果、状況の変化が問題視されていないという問題があるとして、72年と現在での状況の変化を考慮するべきと主張している。[7]
・必要最小限度
1981年、鈴木内閣が改めて答弁書を提出。自衛の措置は認められているが、それは必要最小限度にとどまるべきであり、集団的自衛権の行使はその範囲を超えるという内容であった。この必要最小限という文言から、相対的な禁止を意味するもの、つまり集団的自衛権の行使が許容される場合もあり得るのではないかという議論が浮上した。
しかし、86年公明党の二見議員の質問に対して内閣法制局は、集団的自衛権が他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容としている時点で、自衛権の行使が防衛のために認められるべき必要最小限度の範囲を超えてしまっているのであり、憲法上それが認められることはないという、つまり72年見解と変化はないとの答弁を行った。
04年の安倍晋三議員の、必要最小限度の範囲とは数量的な概念を示すのかとの質問に対しても必要最小限度の範囲とは我が国に対する武力攻撃の発生という要件そのものを指すとの答弁がなされている。
つまり、政府見解としては長年にわたってやはり集団的自衛権は絶対的に認められないとの立場がとられてきたといえる。
・第二次安倍政権
「存立危機事態[8]においてこれを排除し、国の存立を維持し、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として憲法上許容されるべきである。」
上記が安倍政権の見解であるが、つまり集団的自衛権は相対的禁止であるという解釈に変更したといえる。

➁集団的自衛権を相対的禁止とした場合、どのような建付のもとで合法化するか
安倍政権の見解をそのまま受け入れることはできないとの論説が数多く存在する。まず、交戦権が認められていない日本国憲法において軍事権を定める条文は存在しない。よって現行解釈では、武力行使を憲法73条の一般行政事務の範囲内としている。
そして木村[9]によれば、行政とは、自国の主権が及ぶ範囲での活動に限られるとするのが一般的である。つまり、そう考えると主権に危害が及んでいないのに外国の領域や公海で武力攻撃をするという集団的自衛権の発想は行政権の範囲を超えているというのが木村の意見である。[10]
よって、もし集団的自衛権を行使するのであれば、それは個別的自衛権が行使できる状況で、他国の要請があったという建付にするしかないとしている。[11]

  

4⃣集団的自衛権の意義
最後に、集自のメリットについてである。前文に記した通り、一般的に肯定派が主張するのは、日米関係の強化に大きく貢献したという点である。しかし、まあそれは飯を食うと腹がふくれるという程度にはあたりまえの話であるので、以下のような論説がありうる。

➀肯定派:集団的自衛権がなければ日米同盟は不平等であった
肯定派については資料が不十分である。先述したように、日米同盟が強化されたというだけの主張はここに敢えて載せる意味はない。

➁否定派:集団的自衛権がなくても日米同盟は平等であった
柳澤氏によれば、日本はアメリカにとってアジアの前線拠点であるから、必要不可欠な基地を提供し、財政的支援を行いそしてそれを守るだけで、同盟のバランスは保たれているといえる。[12]
そしてこれには歴史的裏付けが存在する。1957年に外務省条約局で日米安全保障条約改訂案がまとめられた。ここでは、日本についてだけの共同防衛方式が構想された。これは、日本の防衛が日本に駐屯する米軍の自衛に他ならないとするものであり、一方の国のみに他方の軍隊が駐留する場合の相互防衛関係として最も自然な形であるとされた。
一方、アメリカ側でも、マッカーサー駐日大使が新条約を草案した。その内容は、西太平洋における締約国に対する第三国からの武力攻撃に際して集団的自衛権を行使することを認め、そして西太平洋の範囲には日本の領土(沖縄、小笠原諸島を含む)のみが含まれるという大幅に日本に譲歩したものであった。
その後、この草案を元にして、日米安保条約5条「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」というふうに決着した。他の西太平洋や東南アジアの国々と米国が結んだ条約では、締結国は西太平洋における米国領土や施策下にある地域の防衛を義務付けられていた。つまり、これらは、米国に駐屯してもらいたい日本と、日本に駐兵したい米国の思惑の合致によって成り立っていたといえる。[13]
しかし、重要なのはこれが50年代の話であるということである。現在においても、柳澤氏のいうように同盟のバランスは保たれているといえるのかについては、議論の余地がある。
→その後アメリカ政府が強く日本の集団的自衛権の合法化を求めてきたことは明らかであるのでそれについてはまた別にまとめる。

  

[1]国連憲章2条4項:原則として、武力による威嚇・武力の行使は違法であり、禁止される
[2]国連憲章42条:例外的に、安保理決議に基づく集団安全保障措置は許容される
[3]国連憲章51条:この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には 、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。
[4]憲法第9条
❶日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
❷前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
[6]豊下楢彦(2007)集団的自衛権とは何か,岩波書店p31
[7]橋下徹 木村草太(2018)憲法問答,徳間書店 p146
[8]存立危機事態:我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態
[9]橋下徹 木村草太(2018)前掲p224
[10]橋下徹 木村草太(2018)前掲p222
[11]橋下徹 木村草太(2018)前掲p239
[12]柳澤協二(2015)亡国の集団的自衛権,集英社p134
[13]豊下楢彦(2007)前掲p62
[14]豊下楢彦(2007)前掲p81