タケル・イダイヤの冒険

とにかく感想

その男、凶暴につき(映画)(監督:北野武)の感想

新文芸坐を出ると、そこは夜の池袋。行きはおっかなびっくり歩いた西口への通路を我が物顔で歩いたところで何か起きるわけもない。 また、それを理解した上で、「何かあったらやってやんぞ」と息巻いているのは相当に滑稽だ。しかし、それも仕方ない。 アクを抜かれに抜かれて清涼飲料水のようになってしまった現代の若者達(俺も含む)を刺激させるには十分過ぎる魅力がこの映画にはある。

秩序が緩く、子供から大人まで粗暴、適当、無法の時代。取り締まる側にもそれなりの凶暴さは必要だったのかもしれない。しかし、我妻という男は、 その範疇を優に超えていた。登場シーンこそ、凶暴ではあるが、弱きものの味方という見方にどうにか収まっていたが、それは本当に登場シーンだけだった。 署内でアベックの男をぶん殴り、逃亡犯を車で追い詰めてニヤリと笑ったかと思えば、轢いた挙句に蹴り続ける、極め付けに仁藤の口に銃口を突っ込んだところで、 この二人は立場が真逆なだけで同じような部類の人間なんだろうなと思った。

では、なぜそんな我妻は魅力的に映るのか。それは、この男の持つ狂気による。狂気が生み出す、常人では持ち得ない精神的な強さと それに見合った肉体的な強さが我妻を魅力的に映すのだ。我妻と並ぶもう一人の主人公であり、その我妻をも超える狂気をもつ清弘 (なんと若き白竜さんが演じている)もまた、同様に危険な色香とよくわからない魅力を噴出させていた。

この映画について特筆すべき点は、手に汗握るシーンが多いということだろう。漁港のシーンでは、若きエンケンが清弘に詰め寄る。 この時点では、相手が清弘であるとはわかっていないから、エンケン、お前ぶん殴っちゃうの?とドキドキしていたらまさかのエンケンの方が刺される。 清弘が橋爪をビルの端まで追いやって掴まらせて、その上ナイフを取り出すシーンでは俺の隣の大学生が「やっちゃうんだ」と声にならない声を漏らしていた。 我妻が刺されて逃走するシーンも、清弘が現れることは分かり切っているのに焦らされてドキドキした。その前の女に銃弾が飛び散るシーンでは 観客の誰かが叫び声を上げていた。こんなことが5分に一度は起こるのだから画面から目が離せない。 また、終盤は我妻と清弘が狂っていることが周知の事実となり、清弘と仁藤、我妻と署長、清弘と部下たち、二人が誰かと対峙する度に、 殴るか撃つかするんじゃないかと気が気でなかった(実際、撃っていた)。

そういえば、今はメインテーマを流しながらこれを書いているのだが、俺が一番心が躍ったのはディスコのbgmだ。 我妻と菊地が張っているところに、橋爪が登するシーン。あそこに流れるビート刻むbgmがたまらなかった。ビートの中で、 目の前を通る橋爪らの気を逸らそうと我妻が潰れたフリをする。ここもカッコいい。いつか、もう一度観てbgmの模様を覚えたら必ずここに載せよう。

最後に、ファンとしての視点を一つ。 我妻を殺した後の仁藤の腹心のセリフ「みんな気狂いばっかだ。」これは首におけるキム兄の「みんな、アホか」とそっくりだ。 ポカをやった岩城、橋爪、その部下が死んでいくのはまだしも、終盤のオカマを含めた部下たち、仁藤、妹、清弘と我妻が死ぬ怒涛の展開もまた、 首の終盤を彷彿とさせる。だから何ということはないのだが。

しかし、新文芸坐さんは首を見てこれの上映を思いついたのだろうか。だとしたら天才、狂気である。 そろそろ、冷静になってきた。 午前中に観たドライブ・マイ・カーがどうやら吹っ飛んでしまったようだが、まあそれは明日考えるとしよう。